【愛知県.名古屋散策】大須観音
みなさんこんにちは!
前回に引き続き今回は名古屋の観光地を紹介させていただきます!
今回は大須観音の紹介です!
前回ご紹介した熱田神宮からもほど近く、名古屋市内の中心部分にありますのでアクセスは
とても良いかと思います!
御本尊は聖観音です。
寺号は詳しくは「北野山真福寺宝生院(ほうしょういん)」と称し、
宗教法人としての公称は「宝生院」ですが、一般的には「大須観音」の名で知られています!
日本三大観音とは
なごや七福神のひとつである布袋像を安置しています。
寺内に『古事記』の最古写本をはじめとする貴重書を多数蔵する「真福寺文庫」があります。
大須観音の歴史は
建久年間(1190年代)、尾張国中島郡長庄大須に中島観音が発祥します。
元亨4年(1324年)に後醍醐天皇が大須郷(現:岐阜県羽島市桑原町大須)に北野天満宮を創建します。
元弘3年(1333年)同社に別当寺として僧能信が創建した真福寺が当寺始まりになるそうです。
その後、後村上天皇により伽藍が創立され、勅願寺となっています。
また、四天王寺の観世音菩薩を移して本尊としています。
三代目住職である任瑜法親王の時には寺領一万石となり、伊勢・美濃・尾張・三河・遠江・信濃六カ国
の真言宗寺院を末寺としています。
戦国時代には、織田信長により寺領五百石が寄進されています。
慶長17年(1612年)に徳川家康の命令で犬山城の城主の成瀬正茂によって大須郷から現在の地に
移転してきました。
文化12年(1815年)に五重塔が健立され、空海が彫った愛染明王像が五重塔内に安置されました。
明治25年(1892年)3月21日には、境内にあった宝生座(芝居小屋)の裏手からの出火(大須の大火)により
本堂、五重塔と仁王門を焼失してしまいました。
のちに本堂と仁王門は再建されてのですが、五重塔は再建されませんでした。
そして昭和20年(1945年)に第二次世界大戦の名古屋大空襲で二度目の消失をしてしまい
戦後の昭和45年(1949年)に仮の本堂と仁王門が建てられ、大須の人たちや関係者から
大須のシンボルである大須観音の早期の正式な本堂の再建が期待されていました。
しかし、資金難で再建が大幅に遅れて昭和45年(1970年)に鉄筋コンクリートで
再建され現在に至っています。
大須観音の御朱印はとても大胆な文字だなといただいた時に感じました!
大須観音を正面にみて左の階段を下っていくと社務所がございますので
そこで御朱印がいただけます!
わかりやすい案内板もありましたので探してみるとわかりやすいかと思います◎
時期的なものなのでしょうか??
11月下旬に訪れたのですが、恐ろしいほどハトがいたのが印象的でした!
あと、多くの外国の方も来ていたのが印象的でした!
大須観音のすぐ近くの商店街が個人的にとても気になりました!
3.4年前に大須を訪れた時にフラッと入った喫茶店の小倉トーストが
とても美味しかったのをずっと覚えています!
今回は時間がなくて商店街は断念したのでまた機会があれば喫茶店探しも兼ねて
散策してみたいと思います!
choco